フリーエリア2


~就寝前のお飲み物をお嬢様の許へお持ちする~

それはもう長いこと俺の仕事だ。俺にとっても就寝前の最後の仕事。いや、もはや習慣だな。二人の間に色々な事が起こり、ぎくしゃくした日々を送っていた頃は、この習慣も辛く、おばあちゃんや他の侍女に代わって貰ったこともあったが、今となっては彼女の部屋を訪れる為の格好の理由となっている。一日の終わりにひと時寄り添いながら過ごす…貴重な時間だ。もっとも主家の令嬢と召使いという立場上、そうそう長居も出来ないのだが。

今夜、彼女が所望したのは彼女の好きな無色透明の酒。以前、俺も彼女に付き合って飲んでみたが(と言うか、無理矢理飲まされた)、あとが散々だった。それ以来、敬遠している。
「コイツはデミタスと同じぐらいの大きさのグラスでチビチビやるのがいいんだ」そう彼女は言う。東洋の細工が施されたゴブレットになみなみと注いでやる。独特の香りを楽しみ、麗しき恋人は実に美味そうにそれを啜った。
水のようにすっきりと透明だが火を噴くほどに強いその酒は、氷を一瞬で炎に変えるような情熱を秘めた彼女によく似合う。

「ふふふ…」
「なんだ?思い出し笑いか?」
「いや、前にアランと飲んだときのことを思い出してな」
「アランと?いつだ?」
「ほら、ばあやが私の肖像画を庇って卒倒したときだ」
「あのときは食事をしてきたと言っていたぞ」
「したさ。アランがな」

あの日、勤務中におばあちゃんが意識不明だとの急使を受けた。隊長命令により俺は一人お屋敷へ戻った。ああ、これで俺も天涯孤独になるのかと何故か冷静だった。しかし戻ってみれば何のことは無い。おばあちゃんは既に意識を取り戻しており、俺の姿を見るなり、お嬢様をほっぽりだして帰って来るとはどういうつもりかと罵倒された。そんなやりとりの最中に彼女が戻ってきた。聞けば班長が残務は自分が引き受けるから戻れと言ったのだという。おばあちゃんは彼女が現れると急にしおらしくなり、軍隊など早くお退きになって…と泣き落とし作戦に出た。彼女もこれなら心配不要だと判断したのか、「ばあや、愛しているよ。いつまでも長生きしてくれ」と殺し文句と誰もがひれ伏したくなる微笑を残すと、仕事が残っているからと一人で兵営へ戻って行った。そしてその晩、明け方近くに彼女は帰宅した。酒の匂いを漂わせながら。

「あのときはアランにも心配を掛けたからな。お前とよく行った店に連れて行った。ほら、あのダンスフロアのある。あいつ何だか変だったぞ。私があいつの酒を味見したり料理を横から つまんだりするたびにどぎまぎした顔をして。ついお前といるときのように振る舞ってしまったが、不快な思いをさせたのかもしれない」  
ーーーー不快?そんなわけないだろう。だってあいつは…。
「アンドレ。アランは気の強そうな金髪の女性が好みだそうだ。もの好きだと思わないか?」
ーーーーどうやらそれが自分のことだとは気づいていないらしい。まったく疎いやつめ。
「お前たちまさかあの店で踊ったりなんかしてないだろうな?」
「踊った。足が棒になるほど」
「!」
「それが傑作なんだ。ディアンヌ嬢の披露宴でアランにも素敵な出会いがあるかも知れないだろ?だから私を相手に女性をダンスに誘う予行演習をしてみろと話していたんだ。」
お前をダンスに誘うーーー俺以外の男にその権利を与えようとするなんて。俺のもやもやした胸中などお構いなしに彼女は喋り続ける。
「そうしたら金髪とブルネットのマドモアゼルたちが話し掛けてきたんだ。逆ナンというヤツだな。どうやら私たちが踊る踊らないと話しているのを聞いていたらしい。で、私はブルネットと、アランは金髪と踊ることになった。面白かったぞ。私が宮廷仕込みのやり方でダンスに誘うと店中の女性たちから歓声が上がって。あんなふうに黄色い声を浴びたのは久し振りだったからついノッて次々にパートナーを替えて踊ってしまった。アランも初めこそ呆気に取られて見ていたが最後にはなかなかの色男振りを発揮していたぞ」
ーーーー派手な笑顔を振りまいて宮廷中の貴婦人たちを虜にしていたお前。ご婦人方が自分に向ける好意には敏感なくせに自分目当ての男の視線には気がつかないから始末が悪い。

「私はアランの笑顔が見たかったんだ。他の兵士たちとは漸く打ち解けて話も出来るようになったが、アランだけはいつまでも心を開いてくれない。かと言って反抗的でもない。真意を計りかねてな。」
ーーーーあいつはお前に惚れてる。ぶっきらぼうなのはそれを隠すため。悟られてはいけない想いか…気持ちは痛いほど分かるがこればかりは味方できない。それにしても、俺をお屋敷に残して随分と楽しんだんだな。
「マドモアゼルたちと踊っているときのアランは本当に楽しそうで、この男はこんな表情もするのかと思ったぞ。私の前では見せたことのない顔をしていた」
酒のせいで目のふちが赤く染まり、瞳には薄い膜が張っている。まるで恋しい相手のことを話しているみたいじゃないか。ふん。面白くない。
「それでだな、あいつ、私を口説きの練習台にしたぞ」
「!!」
「ジェローデルみたいに気取った回りくどい言い方じゃないだろ?言葉がストレートな分グッときたぞ。流石の私も思わずouiと言ってしまいそうだった。あいつも相当酔っていたんだな」
アランのやつ、俺が散々おばあちゃんの嫌味を浴びている間にちゃっかりとしてやがる。オスカルもオスカルだ。だいたい恋人といるときに他の男の話なんて普通するか?彼女にとってアランは弟みたいなもの。その弟が長い反抗期を抜けて漸く素直になった。なんとも喜ばしいことじゃないかーーーなんて物の分かった振りをして彼女の話を聞いていたが、聞きたくもないもう一人の名前まで出てきた。

俺は嬉しげになおも囀り続ける愛しい唇に舌をねじ込んで塞いでやった。
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