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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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    まだ細っこいチビ助のくせに、貴公子ぶった礼を見せたガキ。
    「おま…え、今なんて」
    母さん?
    グランディエ?
    いや、それよりも。
    「……故、人?」
    「うん、そう。あなただって妹さんの形見を他人が持っていたらいやでしょ?だから返して欲しいんだ、あのロザリオ」
    ガキの言うことはしっかり聞こえていたけれど、情けないほど俺は何も考えられなかった。
    喉がカラッカラに渇いて、頭がガンガンして、最後に話したときのあの人だけを思い出していた。
    午後の司令官室。
    窓辺に立つあの人を振り向かせて、肩を揺すった俺。
    その体は異様に軽くペラペラで
    ―― もう、長くはない。
    俺でもそう思った。
    ―― 隊長。
    あのとき俺は誓ったんだった。あの人の目指したものを叶える。だからそれまでは、生きていてくれと。
    「それなのに…」
    それなのに俺はこのザマで、そしてあの人は待っていてくれなかった。
    7月の月のない夜。
    あれが、最後。
    ポケットの中、指先で探るメダイ。そこに刻まれた文字が無性に見たくて、俺はロザリオを取り出す。
    「やっぱり屋敷で落としてたんだ。よかった!」
    そんなホッとした声も耳に入っていたが、俺は取り出したままに揺れるロザリオと、ガキを見比べた。
    正式には名乗れぬ名。
    グランディエの姓。
    あの屋敷の住人を母と呼び、形見としてこのロザリオを継承するという子供。
    疑う余地もない、この子供はあの人の…!
    「フラン…ソワ?」
    「ん?」

    『ん? どうした、アラン』

    ああ、どこからなにを聞いたらいいのか判らない。
    いや。
    そんなことよりも。
    俺は1歩2歩と、よろけながら子供に近づいた。
    ―― 顔を見せてくれ。
    抑えきれない激しさを湛えたあの青い瞳を受け継いでいるのか。それとも、あいつの黒く濡れた眼差しを映した子なのか。
    月あかりの薄い夜。
    建て込む細い路地裏では、かかる前髪の向こう、微かな瞳の光しか判らない。
    目深にかぶった帽子が、巻きつけたショールが濃い影を落として、あの人の面影を探す邪魔をする。
    イライラして… 全部取っ払ってしまいたい。
    俺の前。
    すぐ、もう目の前まで迫った子供が手を差し出した。
    細い指。
    揺れるロザリオを受け取ろうと。
    「なくしたと気づいたときには本当に… 母さんに申し訳なくて、多分あなたが持っているとは思ったけれど」
    実物を見てやっと安心したと、子供の声は少し潤んでいた。
    「ありがとう、アランさん」
    飾り気も、おもねる様子もなく、まっすぐ人の心に切りこんでくる礼の言葉。

    『ありがとう、アラン』

    あの人だ。あの人の子だ!
    痛みを伴ってこみ上げてくる想いが胸にも喉にも熱くて、不覚にも目が潤んでくる。
    ―― 隊長!
    俺はこのときまったく無防備で、あの7月から無かったほど隙だらけだった。
    バカだった。
    「あっ」
    子供と俺の間で、中途半端に吊り下げられていたロザリオ。それを、背後から駆けてきた男が引ったくっていった。
    ドンっ!
    追い抜かれざまに突き飛ばされてすっ転がり、そこら辺にあった物が大きな音をたてる。
    「痛ってぇな、おいっ」
    すかさず起きあがると小路の先で、男を追いかけてはためくマントの背中が見えた。
    もしあの男がただの引ったくりじゃなくて、ナイフでも持っていたら?
    「フランソワ、深追いするな!」
    もし本当にタチの悪いヤツで、女・子供の拐かしも平気でやるような輩だったら!?
    無様にすっ転んでる場合じゃねぇ。
    俺は即座に全力のダッシュをかける。
    「戻れ、フランソワ」
    「悪いが断る!」
    こんなときまで、なめた口を叩くガキ。
    クソ生意気で、間違いなくあの人の子供だと確信する。
    あの、生意気な女の。
    懐かしさで気が狂いそうになりながら、俺はフランソワの背中を追った。
    昔もこんな風に、あの人の背中を追いかけていた。
    いつか並んで歩く日が。
    もしかしたら、いつかは俺があの人の前を行き、守ってやれる日が来るんじゃないかとか、そんな妄想を抱えていつも、俺はあの人の背中を追いかけていた。
    そんなのはあいつの役目で、俺の出る幕はないのだと判りきっていたけれど。
    路地裏に響く足音。
    このまま引き離されて、表の人なかに逃げこまれたらきっと見つからない。
    追いついたフランソワを追い越して、さらに俺は男を追う。
    次の辻で曲がりこまれたら見失う。間違いなく逃げられる!
    俺は必死で追いすがり、ググッと手を伸ばした。
    「わぁっ」
    「きゃっ」
    後ろの方でフランソワがなんかやらかしたらしいが、俺に振り返っている余裕はない。
    ちくしょう、もう若くねぇ。
    息が上がって自分の呼吸が耳にせわしなかった。
    そこに。
    「アランさん、伏せてっ!」
    ガキの声が鋭く響いたが、すっかりゼイゼイ言っている俺は、反応が遅れた。
    「ごぉ~ん」
    後頭部に衝撃。
    「なっ」
    ま…た、フライパン…かよ…

    あのとき背後から聞こえた2人分の叫び声。
    あれは、遅れて男を追いかけていたフランソワが、突然開いたバーの勝手口で従業員とぶつかったせいだった。
    フランソワはバーからフライパンを拝借し、引ったくりに向かって投げた。
    『アランさん、伏せて!』
    そんなこと言われたって、後ろに目がついているわけじゃなし、よけきれなかったそれは、俺の後頭部にヒットした。そして、俺がつかみかかっていた引ったくりにも続けてヒットした。
    でも俺がそのことを知ったのは、しばらく目をまわしたあとのことだった…


    「痛ってぇなぁ、もう」
    2日続けて後頭部にフライパンを喰らった俺は、頭を撫でながら、旧ジャルジェ邸近くへ来ていた。
    俺がノビてる間に、ロザリオを取り返したフランソワ。
    絶対ジャルジェ邸に向かったはずだ。
    “母さんの忘れ物”
    それを取りに。
    なんやかやで、既にいい時刻。人も馬車の通りもない。
    静か過ぎて、俺まで過剰に足音を潜めてしまう。
    これじゃ、俺の方が盗っ人みたいだ。
    昨夜はブチ切れた勢いのまま、立場も考えずにジャルジェ邸に向かってしまった。半ばヤケクソで、尾行されてたって、あの男にどう報告されたってよかった。
    でも。
    今日はフランソワがいる。
    ここに来るべきじゃなかった。それは判っていた。
    下手をすれば、類はフランソワとあいつ… アンドレにも及ぶ。
    それでも。

    会いたい。

    その気持ちをずっと抑えていた。どこにいても、誰のものであっても、あの人が生きていてくれればいい。それだけで幸せなんだと思ってきた。そう思うしかなかった。
    あの人が母となられたと知って、その子の健やかなることをどれほど祈ったか。
    あの男の暗殺に失敗し、独房で処刑を待った日々。俺の後悔はたった1つだった。
    会いに行けばよかった。
    陰からでもこっそりと、あの人の血を受け継ぐ愛し児を、一目見ておけばよかったと。

    俺はまだ、あの子供の顔を見ていない!

    辻馬車をいくつも乗り換えて、行きつ戻りつ遠回りをし、わざと離れた町で降りた。そっからは黙々と歩き、あともう少しでジャルジェ邸というところまで来ている。
    おかげでもう、真夜中過ぎだ。
    「いないかもしれねぇ」
    そんな気もしている。
    だとしたら、それも運命なんだろう。つながることのない、あの人と俺との。
    慎重に慎重を期して夜道を進み、焦りでジリジリしながら正門までたどり着く。
    そして、昨夜と同じく敷地内に入った。
    多分尾行はされていない。
    判らない。
    でも多分、大丈夫だ。
    ここまで怪しい気配はなかった。最高に注意を払ってきたんだから。
    俺はソロソロと屋敷裏に回り、使用人用の扉に手をかけた。
    ゴッ。
    重い施錠の手応え。
    やっぱりもういないのか。
    それとも、はなからここには来なかったのか。
    俺は昨日から持ちっぱなしになっているジャルジェ邸の鍵を、内ポケットから取り出した。
    在処のはっきりしている、数少ないオリジナルの鍵。
    これと、オルゴールの中に隠し持った毛束。
    それだけが今は、あの人と俺をつなぐものだった。
    かちゃりと小さな音を立てて錠を解き、扉を開く。
    軋む床。
    人の住まない家の独特な空気。
    かつては華やかに夜会が開かれ、たくさんの使用人が忙しく働いていたであろう厨房横を抜けていく。
    使用人しか使わない屋敷裏の廊下は冷たく暗く、視界は利かないに近い。
    ここで昨夜、あの子供とやりあった。あのときはまさか、そんな素性の子供だと思わなかった。
    俺は使用人の談話室に入り、燭台に灯を点けた。
    まだ真新しい蝋燭。これも昨夜、あの子供が残していったものだ。きっとここに侵入するために、持参してきたのだろう。
    「準備のいいこった」
    この大きな屋敷に小さな燭台1つばかりじゃ、たいした頼りにはならない。それが却って、人目を避けるのにはちょうどよく思える。
    俺は燭台を取り上げて、でも。
    …足りない?
    僅かに開いた蝋燭の小箱。これは昨日もここにあった。その時から入り数は半端だったけれど。
    減っている気がする。
    俺はギュッと燭台を握り直し、談話室を出た。
    頭に入っているジャルジェ邸の見取り図。談話室から、あの人の部屋に向かう最短距離を思い描く。
    “母さんの忘れ物”と言うからには、あの子供が向かうのは次期当主の棟。あの人の部屋に決まっている。
    もう捕らえようという気はなく、多分、あの子供だって逃げはしないと思う。
    それでも俺は、息を潜めて廊下を進んだ。
    今いるのは、屋敷の裏側。厨房やリネン室や貯蔵庫が配置された、屋敷の生活を支えた部分。このまま2階3階に上がれば、使用人たちの居室に出る。
    俺はまず、窓のない裏階段を選んで2階に出た。万一外に灯りが漏れて、人目についてはマズい。ゆらゆらと弱い灯りを手でおおい、小走りに次期当主の棟へ急ぐ。
    並ぶ使用人の個室。この辺りは主翼寄りだから、使用人たちの中でも、執事や侍女頭など、比較的立場のある者たちに与えられていたらしい。
    あと少しで建物は主翼へと続き、俺が次期当主の棟への分岐に足を向けたときだった。
    湿り気を帯びて死んだ空気に、ふわりと生温かい気配。
    それは物音などではなくて、空気の塊。そこここに漂う、生気のある空気の塊に、たまたま俺が引っかかったような唐突さだった。
    誰か、いる。
    とすれば思い当たる人間は1人しかいなく、俺は惹かれるまま使用人部屋の1室を開いた。
    ほどほどに広い部屋。調度もそこそこ整っていて、この部屋に住んだ者への当主の信頼が伺われた。
    確かここは、あいつの祖母、あの人のばあやだった人の部屋。
    マロン=グラッセ。
    あの亡命劇のあと、ジャルジェ家を辞してあの人の元へ向かった数少ない関係者だ。
    私物をきれいに処分して辞めた為、この部屋には何もなかったはずなのに。
    ゆっくり近づいた寝台の上、かざした灯りに浮かび上がる剣。これはかつて、アンドレが使っていたものだ。
    そしてその横には、図嚢とそれから革表紙の… 日記帳?
    ここが国民衛兵の管理下とされた時、屋敷内に残された私物を、俺は粗方記憶している。
    住んでいた人の面影を伝え残すように、1つ2つずつ置いていかれたもの。
    アンドレの部屋には詩集と剣が、夫人の部屋にはクロッシェや手ずから刺した刺繍のサシェが、そして当主の部屋にも軍人らしく、宮廷儀式用の美麗な剣が残されていた。
    けれど、次期当主の部屋には何ひとつ残っていなかった。
    暴徒と化した民衆に襲われ、その亡骸さえ見つからなかった娘。夫人にしてみれば、娘に繋がるものは何ひとつ手放したくなかったのだろう。
    ただ1か所。あの人の書斎の机、鍵のかかった引き出しの中身以外は。
    手にした燭台の灯りを、ゆらりと移す。
    剣と日記帳、その奥には、丸まって眠り込んでいる子供がいる。顔を伏せ、マントにくるまったまま寝息をたてているフランソワ。
    疲れきって、少し休むだけのつもりが、つい寝落ちしたってところか。
    俺はいったん寝台を離れ、手燭の点るテーブルに寄った。
    小さな炎の元に、鈍く反射する2本の鍵が並べてある。
    そのうち1本は、大きなキーヘッドが立ち上がる獅子を模していて、これは俺が持つオリジナルの鍵と同じものだった。
    こんなガキが、どうやって屋敷に入ったものかと思ったが、フランソワの素性を知れば頷ける。いくつかあったという通用口の鍵は、アンドレにも1本任されていたのだろう。
    そして、それの隣にはもうひとつ、極めて小さな鍵。
    指先で回すような、これは。
    「例の引き出しの…?」
    あの人の書斎の机。
    鍵のかかった引き出しは、夫人がどうやっても開けることは出来なかった。いくら探しても鍵は見つからず、いっそ机ごと壊してしまえば容易だったけれど、それも忍びなく。
    この小さな鍵は、あの人の遺したもの?
    そしてフランソワは、図らずも引き出しの中に置き去りになった、在りし日の母親の姿を取り戻しに来たわけか。
    こんな子供が正式にも名乗れず、早世した母を偲んで人目を隠れて…
    あの人の数奇な運命。
    それをさらにねじ曲げた、俺とあいつと、あのいけ好かない近衛連隊長。
    そのことが、この子の運命をも数奇に導くというのか。
    ……そんなこと、させませんよ。隊長。
    「フランソワ?」
    この子供を、絶対無事に帰さなければ。
    それに、こいつは一体どうやって帰る気なんだ?
    「フランソワ。起きろ、ほら」
    「う…ん。父…さ…?」
    「は、はぁっ?」
    父さん、って言ったか、このガキ。今、俺を“父さん”って!
    寝ボケてるのは判っていても、そんなふうに呼ばれてどぎまぎする。
    あの人の子が、俺を。
    「ふっ、ふらんそわっ!俺はおまえの親父じゃねーぞ」
    くしゅくしゅとマントに埋まった体を揺すると、想像以上に軽く、あったかかった。
    うわ、小動物みたいだ。
    思えば俺は、子供の相手なんかしたことがなかった。
    「起きろって」
    「…ん …あれ?アランさん!?」
    伏せていたフランソワは、それこそ小動物みたいにピョンと跳ね起きた。
    ずるりと落ちそうになった帽子をグッとかぶり直し、驚いた様子でキョロキョロと辺りを見回す。
    「いけない。寝ちゃった!」
    その仕草は、路地裏で話した時とは打って変わってえらく子供らしい。
    「アランさん、今、何時!?」
    とか言いながら、自分の懐中時計を取り出して時間を確認した。
    「大変!もうこんな時間だ。行かなきゃ!!」
    フランソワは、剣と図嚢と日記帳を抱えて寝台から降り、テーブルに向かった。
    「行くっておまえ、この上どこへ?」
    「ベルサイユのはずれ。僕の用は全部済んだから」
    フランソワは小さな鍵をフラップのついたポケットにしまい、獅子の鍵を俺に向けた。
    「なんのつもりだ?」
    「この屋敷は今、あなた方の管理下なんでしょ?ならもうこの鍵は、僕たちが持つべきじゃない。そう父さんが言ってたよ」
    1789年7月のあの夜。
    アンドレはつい習慣で、2度と帰ることのない屋敷の鍵を持って出てしまった。本来ならあの夜に、手放すはずのものだったのに。
    「でも、この小さな鍵は」
    フランソワはそう言って、ポケットに手を当てた。
    「屋敷を出る直前まで、母さんはお茶を飲みながら日記を書いていた。そこにジェローデル少佐からの呼び出しを受けたけれど、母は帰宅したらまた続きを書くつもりで、気軽に出かけてしまったそうだよ。日記帳を引き出しにしまい、その鍵をなにげなくキュロットのポケットに押しこんで」
    「そうだったのか。ジャルジェ夫人はずいぶんと、その鍵を探したそうだが」
    どうりで見つからなかったはずだ。本人が持って出たんだから。
    「それでおまえは若き日の母親の姿を求めて、その日記帳を取りに来たってわけか。ついでに、アンドレの剣も」
    「うーん… 父さんの剣はね、ついでというより、磨き直して僕が使おうと思って」
    「おまえが?」
    「そう。たぶん近々必要になると思うんだ」
    近々必要に?
    「フランソワ。それ、どういう…」
    俺は続けて聞こうとしたが、フランソワが日記帳を手にあの人の話を始めたので、そんなこと、どうでもよくなってしまった。
    「これを取りに来たのは、母の昔を知りたいからじゃない。母さんに頼まれたからだ」
    「頼まれた?」
    「そう、“これ”をね」
    フランソワは日記帳の裏表紙を開くと、不自然な革張りの隙間を広げた。
    「ほら」
    手のひらに転がり出てきたのは、古びた指環だった。
    目利きにはまったく自信のない俺でも、はっきり安物だと判る。
    こんなもんを、あの人が?
    「ね?こんな安物を」
    フランソワはまたヘンに大人ぶって、“その気持ちも判る”というように頷いた。
    そういった態度は本当にこまっしゃくれていて、人をイラッとさせるにじゅうぶんなはずなのに、妙に魅力的だった。
    それはきっと、この瞳のせいだと思う。
    まっすぐな強い瞳に、あの人はいつも儚さを隠していた。猛る男どもを束ねて雄々しく振る舞い、俺はその姿を信頼していたけれど、でもあの瞳の奥に、俺はその儚さだけを探していた。いつかそれを、俺に預けてくれないかと。
    フランソワの見せる大人ぶりな不安定感は、あの人のアンバランスさによく似ている。
    そして。
    手燭の灯りにぼぅっと映える藍色の瞳。頬の白さ。ガキのクセに気難しげな眉と、体の内側から心地よく放たれる緊張感。
    パーツのひとつひとつなら、むしろアンドレに似ているとも思えるのに、それが1人の人間となったとき、その子の印象はジャルジェ家の血を濃く顕していた。
    ああ。なんてあの人に似ているんだろう。まるで写し取ったようだ。
    けれどただ1つ。
    くるくるとした巻き毛はあの人にもアンドレにも似ているが、その髪色はどちらにも似ていなかった。
    燻しの入った、暗めのアッシュブロンド。
    あの人の豪華な金髪はいかにもキラキラと華やかで、あまりにも大貴族のイメージにハマり過ぎ、誤解されることも多かった。
    誰より俺がそうだった。
    おキレイな顔とド派手な金髪。出会った頃は、視界に入っただけで苛立っていたものだ。
    でも、フランソワの持つ燻し気味の金髪は、顔の派手さを一段抑え、ちょうどいい品のよさを醸し出している。それはあの人よりも親しみやすく、あと5年もすれば背も伸びて、たいした美青年になりそうだ。
    「…ったんだ。ちょっとアランさん、聞いてる?僕、本当にもう行くからね?」
    「え?ああ、悪りぃ。聞いてなかった」
    俺はやっと見ることの出来たフランソワの顔に、すっかり見とれていた。
    「もぉ~。だからこの指環は、父さんの父さんが父さんの母さんに贈った指環なんだって」
    「へっ?父さんの父さんが…なんだ?」
    「だーかーらぁ、僕のおじいさんが僕のおばあさんに贈ったものだってば。父さんが8歳のときに死んじゃったママンの形見の指環なんだよ。それを母さんが譲り受けたんだ。だから、これだけは手元に置きたいって、母さんはずっと気にかけていたんだよ。ちっとも高価なものではないけれど」
    アンドレの母親の形見の指環。
    あの人の形見のロザリオ。
    リボンで結ったディアンヌの遺髪。
    価値だけを比べれば雲泥の差だけれど、あの人はきっと、そんなこと考えやしない。それはとてもあの人らしくて、目の奥がジンと熱くなる。
    「アランさん」
    「あん?」
    応えた俺の声はすっかり鼻声になっていて、フランソワはクスクスと笑った。
    「あなたって、母さんから聞いていたイメージとはだいぶ違うみたいだ」
    俺のイメージだと?
    「どうせ沸点が低くてキレやすい、暴走バカだとでも言ってたんだろう?」
    「そう。雨の中、遥かに階級の高い上官をぶっ飛ばしに行こうとするほどの直情型だって」
    「そんなこったろうと思ったよ」
    げんなりと息をつく俺に、フランソワは扉に手をかけながら、またクスリと笑う。
    「母さんはあなたについて、“あいつみたいな男に会うために、私は衛兵隊にいったのかもしれんな”そう言っていたよ」
    俺みたいな男に会うために…?
    「ウソだ、そんな。あの人が俺をそんなふうに言うなんて… ガキのクセして、大人をからかうんじゃ…」
    手燭をかざして、暗闇の廊下に先を行くフランソワ。
    ガキんちょに先導してもらってるみたいでホントにしゃくに障るけれど、涙の止められなくなっている俺に、今は追い越すことが出来ない。
    こんなガキの言葉ひとつがここまで効いてくるなんて、本当に年は取りたくないものだ。
    あ~、情けねぇ。
    「フランソワ?」
    まったく情けなくなっちまった俺だけど、おまえはちゃんと、アンドレの元に返してやらないと。
    「なぁに?アランさん」
    「おまえ、時間を気にしてたみたいだけど」
    「うん。予定より結構遅くなっちゃった」
    「ベルサイユのはずれまで行くって言ってたよな」
    「迎えが来てるはずなんだ。あんまり人目につくわけにもいかないし、急がないといろいろまずいかも」
    迎えって、アンドレが!?
    がらにもなく潤んでいた目の水分が一気に引いた。
    それは確かに人目につくわけにはいかない。ことに、俺とアンドレが接触しているところを、万一あの男の息がかかったヤツに見られたら!
    でも。
    この機会を逃したら、アンドレに会うチャンスはもうないかもしれない。
    待ち合わせの場所は、ベルサイユのはずれ。
    ―― よし!
    「そこまで俺も」
    一緒に行くぞ。
    俺はそう言おうとしていた。
    そのとき。
    ゾッ…
    背筋に走る、強すぎる緊張感。
    こう見えても神経を張り巡らせていた俺に、特別なスイッチが入った。
    俺たち以外の、人の気配。
    俺はフランソワのひじをつかんで引き戻した。
    「なに!?アランさ」
    「黙れ」
    あと少し、曲がり角をもう1つであの厨房横の廊下に出たはずで、フランソワは怪訝な顔をした。
    「灯り、消せ」
    「え?」
    「いいから!」
    自分の持つ燭台の炎を吹き消し、フランソワの手燭の灯りも指先で弾いた。
    頬や首筋のピリピリする感じ。
    間違いない。近くに誰かが潜んでいる。
    おまえはここにいろ。
    そう言った声はもう、息づかいだけ。
    俺はタイミングを計って、厨房横へと飛び出した。
    シュッ。
    耳もとを掠めてきたのはダガーのようだった。
    無言のまま、次々繰り出される切っ先。普通出来ることじゃない。
    よく訓練された者。
    あの男の手の者だろうか?


    丸腰の俺は防戦一方で、必死に刃を避けながら、この争いの場をフランソワから離すことだけを考えていた。


    6につづく
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